小篠綾子はファッションデザイナーで、同じくファッションデザイナーとなったコシノ三姉妹(コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコ)の母親としても知られていますね。
小篠綾子の子孫や年収も気になりますね。
小篠綾子の夫や子孫、年収についてしらべてみました
小篠綾子と夫は小篠武一(旧姓川崎)と22歳の時に結婚!
小篠綾子さんは1934年(昭和9年)22歳の時、紳士服の紳士服の職人だった1歳上の川崎武一(たけいち)と結婚しました。

武一さんは川崎家三兄弟の長男ですが、綾子の父・甚作に押し切られる形での婿入りで名前は「小篠武一」になりました。

綾子は店開きして「さあ、これから一生懸命働こう」と意気込んでいたところへ、父・甚作が「養子に来たいちゅう人がいてはるんや」と話を持ち込んだそうです。

「私、まだ結婚なんかする気あらへん」と断る綾子をよそにどんどん話を進めてしまいます。

「こぬか三合あれば養子に行くな」と言われた時代に、武一さんは長男なのにわざわざ養子に来たいという奇特な男性だったようです。
洋装店の隣に、武一さんもテーラーを開店して、仕事は大忙し。

ヒロコと2歳下のジュンコは昼間は祖父や叔父に預けっ放しだったそうです。
武一さんにに召集令状が届いたのは、昭和17年暮れ。翌年1月に外泊許可が下りて家に戻りましたが、生まれたばかりのミチコの写真を撮って、再び外地に赴きました。
小篠綾子の死因は脳梗塞で92歳で亡くなった!

2006年に脳梗塞でお亡くなりになりましたが、生涯現役デザイナーとしてご活躍されました。
小篠綾子と祖父は大阪の大富豪!広大な土地を持つ資産家!
小篠綾子さんの母方の祖父は、隅谷小一郎さんといいます。

小篠綾子さんの、母親の実家は、堺市鳳の庄屋だった隅谷(すみや)家です。

隅谷家の門を出て、他人の土地を踏まずに、よその町へ行けると言われていました。
先祖を辿ると、堺の町を治めた納屋衆の一族と思われます。
納屋衆とは、港湾沿いに倉庫を持ち、廻船業で、遠くルソン(今のフィリッピン)や安南と貿易していた堺の豪商を指します。
小篠の家系図や子孫は?
小篠綾子は呉服屋小篠甚作と小篠ハナの長女として生まれます。

小篠綾子とコシノ三姉妹はデザイナーになりましたが、祖父の代からファッションに関わっていたようですね。
コシノ三姉妹は、大阪府岸和田市出身です。
コシノヒロコは長女であり、国際的にも非常に知名度が高いデザイナーです。

彼女のデザインは、洗練された現代的なスタイルに伝統的な日本の要素を融合させることで知られています。

彼女は日本国内外で多数のファッションショーを開催しており、特にパリコレクションでの展示は高く評価されています。
次女のコシノジュンコは、日本の著名なファッションデザイナーで、1960年に最年少で装苑賞を受賞し、業界に注目されました。

彼女は大阪府立岸和田高等学校、その後文化服装学院で学び、「花の9期生」と呼ばれる才能豊かなクラスの一員として活躍しています。
1966年に東京・青山に自身のブティック「COLETTE」を開店し、1978年にはパリコレクションにデビューします。

その後も国際的なショーを多数開催し、北京、ベトナム、キューバ、ミャンマーなどで画期的なファッションショーを行い、各地のファッションシーンに影響を与え続けています。
三女のコシノミチコはよりアート的なアプローチを取り入れたデザインで知られています。

ミチコの作品は、ファッションとアートの境界を探るものが多く、彼女のショーはしばしば芸術作品としての側面も持ち合わせています。

また、彼女はテキスタイルデザインにも強い関心を持っており、独自の布地を使った服作りに情熱を注いでいます。
小篠綾子さんの孫でこしのひろこさんの長女に由佳さんがいます。

由佳さんは、母親と同じく文化服装学院を卒業していますね。
彼女は、『ケンゾー』の創設者でもある高田賢三の元でパリで1年半修行しました。

その後、『ヒロココシノインターナショナル』に入社し、2016年には、社長に就任しています。

由佳さん自身もデザイナーでしたが、デザイナーの仕事を控えて母親のサポートを決心。『ヒロココシノ』をさらに盛りあげるため、プロデュース活動をしています。
コシノヒロコさんの次女のゆまさんもファッションデザイナーです。

母親、姉の由佳さんに続き、彼女も文化服装学院を卒業しています。

デザイナーと副社長を兼務して『ヒロココシノ』を支えています。

娘二人が母親であるコシノヒロコさんと、同じ道に進むとは…。コシノヒロコさんが娘二人に与えた影響はとても大きなものだったのですね。
小篠綾子のブランドは「AYAKO KOSHINO」で74歳の高齢でブランドを立ち上げた!

マスコミでは“日本におけるファッションデザイナーの草分け”といったように紹介されていますが、実はきちんと自身のブランドの立ち上げたのはかなり遅かったのです。
1913年に現在の兵庫県にあたる地域で誕生したのち幼少期に大阪の岸和田に移住し、呉服屋の娘として育ちます。
10代になると実家が呉服屋であるものの、和装ではなく洋装に対して強い憧れを抱くようになり、岸和田で「コシノ洋装店」を開業。

3姉妹を育てながら服作りに励む生活をスタートさせます。

この時点ではまだ明確な自身のブランドをもっていたわけではありません。

世界的デザイナーを3人も作り出した人物としてマスコミからの綾子への注目度もどんどん上昇します。

綾子はそんな中、自身も娘たち同様にデザイナーとしてもっと積極的に活動していきたい気持ちが強くなります。
娘たちからの反対の声をおしのけ、1987年(74歳になる年)に「AYAKO KOSHINO」という自身のブランドをスタート。
そこから2000年代半ばに90代で死去するまで、全盛期を迎えていた3人の娘たちと一緒にファッションデザイナーとして活躍しました。
小篠綾子の仕事や年収は?偉人の年収houmuch?
小篠綾子はファッションデザイナーです。

20歳の頃はセーラー服を作っていて年収は月に40円(当時)現在の290万円でした。

90歳の頃の年収は1800万円と言われています。ブランドのライセンス料と月に5回位全国を回っていた講演会の収入です。
小篠綾子のカーネーションとは小篠綾子の人生をモデルにした2011年のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)!
『カーネーション』は小篠あやこの生涯を基に、2011年度下半期NHK連続テレビ小説として放映されたテレビドラマです。
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- あらすじ
- 物語は、大正13年9月、岸和田だんじり祭に向かう父・小原善作を見送る場面から始まります。
NHK好き主婦(三村和子)
大正2年、岸和田の呉服商でひとりの女の子が生まれ、その女の子がこの家の長女・糸子です。
だんじりでにぎわう町に生まれましたが、女の子が参加できない不自由さを感じながら育った糸子は「女性だけにしかできないこと」を探し、裁縫の道を見つけ出します。
ある日、ふとしたことで運命のミシンに出会った糸子は、父の反対を押し切り、女学校を中退。
NHK好き主婦(笹木たえ)枡谷パッチ店・店主にミシン修行をしたいと頼み込み、修行を開始します。
NHK好き男性(田中正吉)約2年の修行を終えた糸子は、20歳で夢に見た洋装店を開店します。
服を作る楽しみに充実感を覚えつつ、店を切り盛りする毎日をおくります。
NHK好き主婦(鈴村春子)夫は帰らぬ人となります。
女手ひとつで3人の娘を育てなければならなくなった糸子でしたが、持って生まれた才覚を発揮し、徐々に店を大きくしていきます。
終戦を終え、ようやく岸和田界隈も落ち着きを取り戻してきた頃、糸子は運命の相手に出会います。
紳士服職人・周防龍一と泉州繊維商業組合で顔を合わすうち惹かれあう間柄になり、糸子が周防に「好きです」と告白。
周防も糸子の想いに応えますが、周防には長崎に残してきた妻子がいたため、2人は不倫関係になります。
周囲の反対を押し切り、糸子は隣町に周防の店を開店。
NHK好き主婦(三村和子)糸子の影響を受けながらすくすくと育った3人の娘は、それぞれに独立し、三人三様の個性が光るブランドを立ち上げます。
NHK好き主婦(笹木たえ)3人の娘を育て上げ、74歳にて自身のブランドを立ち上げた糸子は、92歳で脳梗塞に倒れます。
2006年3月26日、糸子永眠。
小篠綾子の映画『ゴッドマザー〜コシノアヤコの生涯〜』が2025年5月23日に全国公開
映画『ゴッドマザー〜コシノアヤコの生涯〜』は、2011年の連続テレビ小説「カーネーション」でも題材とされた、コシノアヤコの生涯を映画化した作品です。

日本のファッション界に革命をおこし、昭和から平成を駆け抜けたデザイナーの“草分け的存在”であるコシノアヤコの物語を描いています。

逞しく好奇心旺盛で明るく前向きなコシノアヤコの生き様を、15歳から92歳まで演じ分けています。
コシノアヤコの娘三姉妹を演じるのは、黒谷友香、鈴木砂羽、水上京香の3名です。

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