ドラマ「虎に翼」のヒロイン猪爪寅子(伊藤沙莉)のモデルは三淵嘉子さんです。
三淵嘉子さんの再婚相手は三淵乾太郎さんですが、乾太郎さんはどんな人物だったのでしょうか?
三淵乾太郎さんには子供がいたのかも気になるところですね。
三淵乾太郎さんの子供についてや、嘉子さんとの再婚後の生活、ドラマで三淵乾太郎さんを演じている岡田将生さんについても調べてみました。
寅子の再婚相手のモデルは三淵乾太郎(みぶちけんたろう)!
ドラマ「虎に翼」のヒロイン猪爪寅子(伊藤沙莉)は星航一(岡田将生)と再婚します。
ヒロイン猪爪寅子(伊藤沙莉)モデルは三淵嘉子さんで、星航一(岡田将生)のモデルは三淵乾太郎(みぶちけんたろう)さんです。
乾太郎氏は、太平洋戦争開戦時に総力戦研究所のメンバーとなるなど、波乱の人生でした。
乾太郎はドラマチックな人生を送った人です。最高裁判所の調査官、東京高等裁判所の裁判長になるなど、法曹界の第一線で活躍し、戦前・戦後の激動の歴史に関わってきた人物なのです。
乾太郎の祖父は会津藩士で武士の家系。
三淵家のルーツは会津藩のあった福島県であり、乾太郎も「福島出身」というプロフィールになっていますね。
明治39年(1906年)12月3日に生まれ、3人兄弟の長男として育ち、旧制水戸高校(現在の茨城大学)に入学します。
おそらく勉強はかなりできたタイプで、東京帝国大学を目指すため、福島から比較的近い水戸の進学校を選んだのだと思われますね。
東京帝大法学部を出て、1930年、高等文官試験司法科に合格して司法省へ入省します。
父親が東京地方裁判所判事、大審院判事と出世していったので、その後継者として法曹の道を歩んだのかと思われますが、直接、父から「お前も裁判官になれ」と言われたわけではないようです。
乾太郎たち官僚は、その頭脳と知識を活かし「戦争したら、日本は負けます」「そのうち石油が補給できなくなるし、ソ連が参戦したら詰みます」と、かなり正確な予測をしたのだが、その報告を受けた政府中枢、軍部は「日清、日露戦争のように戦争はやってみなきゃわからん」と無視して開戦へと突き進んでいきます。
これではシミュレーションの意味がない、と総力戦研究所のメンバーが落胆、失望します。
ドラマでも星航一(岡田将生)がそのトラウマを抱え、戦争で家族を亡くした人たちに「ごめんなさい」と泣いて謝っていますね。
わかっていたのに避けられなかったという悔しさ悲しさは、乾太郎の人生に影を落としたたのでしょう。
再婚相手のモデルは三淵乾太郎を演じてるのは岡田将生!
ドラマ『虎に翼』で猪俣寅子(伊藤沙莉)の再婚相手、星航一を演じているのは岡田 将生です。
岡田 将生(おかだ まさき)は、1989年8月15日生まれで、現在35歳です。
出身は東京都江戸川区で、所属事務所はスターダストプロモーションです。
岡田将生の好感度がアップしているようですね。
デビューして18年目の彼には、仲野太賀(「虎に翼」でヒロインの前夫役)と共演した「ゆとりですがなにか」など、既に主演作もたくさんあります。
朝ドラでヒロイン・寅子(伊藤沙莉)のロマンスの相手役となり、整った顔面と繊細な演技で、視聴者を魅了しています。
朝から見るにはイケメンすぎますね。
再婚相手のモデルは三淵乾太郎との結婚式や馴れ初めは?
ドラマ「虎に翼」のヒロイン猪爪寅子(伊藤沙莉)のモデルは三淵嘉子さんです。三淵乾太郎さんと嘉子さんは昭和31年8月に結婚します。
乾太郎さんは当時49歳、嘉子さんは当時41歳、子連れ同士の再婚でした。
二人が戦争で負った心の傷を共有し、それを癒やすように愛情を寄せ合い結ばれたのかもしれないですね。
優秀な2人をいつ誰が引き合わせたのかはよくわかりませんが、乾太郎の父忠彦のことは、嘉子は以前からよく知っていました。 嘉子に「白羽の矢」を立てたのは三淵乾太郎の母親である三淵静です、
再婚同士、お見合いに近い形で結婚の話が進んでいったようですね。
周囲からも、裁判官同士、お似合いのカップルと見られていたようですね。
2人の式は派手なものではなく、簡単なパーティーのようなかたちで済ませてしまったということです。
お互いに配偶者と死別した再婚で、またお互いに子どもがいたからなのかもしれません。
新婚の2人は、結婚していた那珂以外の子どもたちと一緒に、目黒で新しい生活を始めました。
再婚相手のモデルは三淵乾太郎との問題①連れ子の存在
ドラマ「虎に翼」のヒロイン猪爪寅子(伊藤沙莉)のモデルは三淵嘉子さんです。三淵嘉子さんが再婚したお相手は三淵乾太郎さんですね。
乾太郎さんには長女・那珂さん、次女・奈都さん、三女・麻都さん、長男・力さんという4人の子がいました。
那珂さんが裁判官と結婚した直後に乾太郎さんが嘉子さんと再婚。
次女(21歳)、三女(18歳)、長男(14歳)のいる家庭に、嘉子さんは13歳だった実子の芳武さんを連れて同居することになったわけです。
二人の再婚に対し、表立って反対する声はありませんでしたが、それでも嘉子さんと三淵乾太郎さんの子どもたちの間にはかなり摩擦も起こったようです。
中でも嘉子さんと一番激しくぶつかったのは、結婚して外に出ていた長女の那珂さんだったようです。
家に残っている姉弟を守りたかったのでしょうね
実子の芳武さんから見ても嘉子さんの気性の激しさは、目に余ることもあったようで、あるとき嘉子さんと那珂さんが電話で言い争った際、すっかり興奮して筋の通らないことを電話で言っている母に、思わず「やめろ!」と怒鳴り、電話を終わらせたことがあったそうです。
再婚相手のモデルは三淵乾太郎との問題②年齢差
ドラマ「虎に翼」のヒロイン猪爪寅子(伊藤沙莉)の再婚相手は三淵乾太郎さんです。
再婚当時、三淵乾太郎さんは49歳、嘉子さんは41歳と年齢差の再婚でした。
嘉子さんたちはお互い連れ子を抱えての再婚ですから、不安もあったでしょう。
嘉子さんがあえて再婚しようと思ったのは、乾太郎さんへの愛情はもちろんのこと、「家族」というものへの強い思いがあったのではないでしょうか。
嘉子さん自身、両親ときょうだいの愛情をたっぷりに注がれ、育ってきたので「家族」への思い入れがあったのでしょう。
再婚相手は同じ裁判官同士。守秘義務があるので事件の詳細などについては話すことはできないにしろ、苦悩を分かち合い、理解し合えるパートナーだったのでしょう。
再婚相手のモデルは三淵乾太郎との問題③仕事と家庭の両立
検事同士、裁判官同士の結婚は時々あるようですが、基本的には2年おき、あるいは3年おきに異動があるので、単身赴任になることも多いようです。
嘉子さんと乾太郎さんは、東京と甲府、浦和と新潟に離れたこともありました。
当時は、日常の家事は、住み込みのお手伝いさんがやっていましたので、生活には困らなかったようです。
再婚相手のモデルは三淵乾太郎との問題④社会的な目線
再婚してから16年目。昭和47年(1972年)6月、嘉子さんは新潟家庭裁判所の所長になります。
新聞には「わが国で初めての女性の裁判所長が十五日付で誕生」と掲載されました。
その後、浦和、横浜と、あわせて3つの家庭裁判所の所長を経験しています。女性の裁判所長は日本で初のことでした。
東京家庭裁判所の参与員・土肥茂子さんはヨーロッパの香水をお土産に持って行ったときのことをこう振り返っています。
サッパリした言い方だったので、贈った方も、全然、傷つかなかったようですよ。
男性の中で、人知れず苦労を重ねたのでしょうね。
再婚相手のモデルは三淵乾太郎と子どもたちとの関係性を作る苦労とは?
ドラマ「虎に翼」のヒロイン猪爪寅子(伊藤沙莉)のモデルである女性初の裁判所長は武藤嘉子として生まれ、最初の結婚で和田嘉子に。41歳のときに再婚して三淵嘉子となります。
明朗快活な嘉子でしたが、厳しく激しい一面もあったといいます。
乾太郎の4人の子どもの1人である三淵力は、「一人息子、芳武を連れて嫁して来た時、継母は、さぞや敵地に乗りこむ進駐軍、といった心がまえであっただろう」と回想しています。
乾太郎の4人の子どもたちと嘉子とが、親子としての関係を作り上げていくのには時間もかかったでしょう。
力は、「昨日、仲むつまじかったかと思うと、今日はもう言い争い、といった風に波乱が起き、我が家は平穏とはとても言い難い状態になった」と言っています。
嘉子さんにはひとり息子がいて、再婚相手には4人の子がいました。義母としてその4人のうち3人と同居することになった嘉子さんは、持ち前のパワフルさから、子どもたちには『気性が激しくて、つきあいにくい』とも思われていたようです。
嘉子さんに悪気はなく、気性が激しいだけだということも、乾太郎さんの子どもたちは理解していたようです。
のちに関係も良好になり、乾太郎さんの長男夫妻とは一緒に金沢旅行もしていますね。
三女は嘉子さんが病気に倒れた際、献身的に看病し、差し入れの料理に文句をつける嘉子さんのわがままさえ愛しく感じていたと言っています。
一方、実子の芳武さんは、「母は初めての女性の法曹の一人で、男の社会で戦っていました。安心して全てを話し、相談できる夫を得ましたから、幸せでしたね」と振り返っていますね。
嘉子さんが再婚して三淵姓になった後も、芳武さんはずっと和田姓を名乗り続けていました。
芳武さんが新しい家族に馴染めなかったわけではありません。
乾太郎さんは芳武さんにずいぶん気を遣っていたらしく、芳武さんのほうに寂しさや不満はあまりなかったようです。
乾太郎さんもまた、5歳のときに実の母親を病気で亡くしていて、父の忠彦さんが後妻を迎えていたため、芳武さんには寂しい思いをさせないようにという思いがあったようなのです。
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