昭和24年1月、ついに家庭裁判所が発足しました。
短い時間でなんとか形にすることができた家庭裁判所、燕尾服に着替えた多岐川幸四郎(滝藤賢一)は汐見圭役(平埜生成)や佐田 寅子(伊藤 沙莉)、小橋浩之(名村辰)、稲垣(松川尚瑠輝)らと一緒にこの日を迎えたことを喜び合いました。
アメリカのファミリーコートのような場所を目指す家庭裁判所、子どもたちの未来に種をまくことができる場所になれるよう多岐川幸四郎(滝藤賢一)の熱意が込められています。
新しい年が始まり、佐田 寅子(伊藤 沙莉)の生活も一新しそうです。
昭和24年、どんな年になるのでしょうか。
第56話家庭裁判所判事補の寅子とよねさんの再会~前回までのあらすじ~
家事審判所と少年審判所の合併が難航したまま期日だけが迫ってきて焦る佐田 寅子(伊藤 沙莉)。
佐田 寅子(伊藤 沙莉)は弟直明が活動する「東京少年少女保護連盟」の純粋な想いを伝えるべく、家庭審判所と少年審判所の話し合いの場に呼び寄せます。
直明はキラキラした瞳で2つの審判所が1つになれば子どもたちにより良い社会を届けることができると話し、家庭裁判所設立に大きく動きだすことができました。
家庭裁判所には花岡の妻が描いた絵が飾られることになりました。
この絵を見て佐田 寅子(伊藤 沙莉)は多岐川幸四郎(滝藤賢一)は何を感じるのでしょうか。
第56話家庭裁判所判事補の寅子とよねさんの再会~多岐川幸四郎(滝藤賢一)の急用~
電報が連絡手段なのね。ちょっと想像できてなかった。
今の子って電報のこと、知ってるのかな~
多岐川の家に来れば香子ちゃんの顔が見れるし、まぁいいか。
しかし急用とはいったい何だろう。。。
だからふんどしなの?
滝行って白装束のイメージなんだけどこれが多岐川スタイルなの?
多岐川はいたって真剣、寅子に「今から何か月も考え抜いた家庭裁判所に必要な5大基本性格を発表する」といい寅子に桶の水を勢いよくかけるよう頼みます。やっぱ、変人だわ。。。この人。そして汐見はすんなり受け入れている。汐見も軽く洗脳されているみたい。。
第56話家庭裁判所判事補の寅子とよねさんの再会~佐田 寅子(伊藤 沙莉)への辞令~
家庭裁判所開所の記念式典で多岐川幸四郎(滝藤賢一)は基本5大性格を発表しました。
兼?辞令だけどどこか引っかかる~うまく丸め込まれてるのかな~
曲者3人って多岐川・桂場・ライアンのことかなぁ、確かに3人ともクセは強いけど寅子も曲者の仲間入りですか?これは長官に認められていると取るべきかうまく丸め込まれているのか。それにしても寅子の交渉術はさすがですね。なりたい自分に近づいているみたいです。
第56「虎に翼」「家に女房なきは火のない炉のごとし?」ネタバレあらすじ~上野の現状~
戦争孤児の視察の為上野に来た佐田 寅子(伊藤 沙莉)たち。
終戦から3年が経過しても路上には行き場のない子どもたちが大勢います。
「やられた!」と叫ぶ小橋。財布をすられたことに気が付きます。思わず寅子は「なんで大きい声出すの!」と小橋に怒り、少年を追いかけます。奥まった路地にいた青年に財布を渡す少年、寅子は「返しなさい」と静かに伝えますが2人は別々の方向に逃げていきます。青年を追いかけた先はよねさんの住んでいたカフェーのあった場所。そしてそこには「轟法律事務所」の看板が立っています。
終戦後、カフェーで働いていた人は死んだと聞かされていた佐田 寅子(伊藤 沙莉)は足が止まります。
この場所に山田 よね(土居 志央梨)さんがいるのかも、そして轟法律事務所ってあの轟太一(戸塚純貴)なの?
どうしても確かめたくて佐田 寅子(伊藤 沙莉)は扉をそっと開けて中に入ります。
第56話家庭裁判所判事補の寅子とよねさんの再会~再会した同級生~
嬉しくなり駆け寄ろうとする寅子を付け放すよねさん。轟は寅子を見るなり「生きてたのか。。。良かった、本当に良かった!」と満面の笑みを見せます。よねさんだって寅子が無事に生きていることが嬉しくない訳がない。ですがここで決別したのだから、易々と受け入れる訳にもいかない。寅子のことを思っているからこそ自分の取るべき態度に迷いが生じるよねさん。なんだか素直になれないのって苦しいね。
轟太一(戸塚純貴)は財布を返し青年に謝らせようとしますが青年は出て行ってしまいます。
佐田 寅子(伊藤 沙莉)は轟太一(戸塚純貴)に今家庭裁判所で働いていて上野には視察で訪れたと説明し、家庭局で事務官をしながら家裁の判事補をしていると話します。
轟太一(戸塚純貴)は「女も判事補になれる時代が来たか!」と喜びます。
佐田 寅子(伊藤 沙莉)に何も言えないよねさん、ついつい顔がこわばり轟太一(戸塚純貴)に「どんな道を歩もうと佐田の自由だろ」と怒られてしまいます。
素直によねさんの言葉を受け止め謝る寅子。あの時の寅子の置かれた状況、よねさんだって今になれば理解できなくはないはず。せっかく同じ道を志した同志なのだから、またいつかは一緒に歩める日が来ると思っています。そう願っています。
第56話家庭裁判所判事補の寅子とよねさんの再会~グッときた名シーン~
佐田 寅子(伊藤 沙莉)と山田 よね(土居 志央梨)さんの再会が一番の見どころでしょう。
寅子が妊娠した事実を伝えてくれなかったことや仲間として頼ってもらえなかったこと。
自分は高等試験に合格できずずっと弁護士になれないままで実際どこまで佐田 寅子(伊藤 沙莉)の手伝いができるのか歯がゆい思いをしていたこと。
先輩たちが離れていき佐田 寅子(伊藤 沙莉)1人が重圧に押しつぶされそうになっていたその時に、何ができたのか何をしてあげられたら寅子は弁護士を続けていられたのか。
山田 よね(土居 志央梨)さんに優しい言葉なんて似合わない、「こっちの世界には二度と来んな」と拒んだのは、寂しくて悲しいけれど佐田 寅子(伊藤 沙莉)の選ぶ道を優先してあげた言葉だと思っています。
偶然の再会で生きていたことを喜びあいたいけれど、一度拒んだこの場所で何もなくあっさり受け入れるような山田 よね(土居 志央梨)さんではないはず。
再び法曹の世界に戻り、判事補になった佐田 寅子(伊藤 沙莉)と何も変わっていない山田 よね(土居 志央梨)さん。
同じステージに並ぶまで山田 よね(土居 志央梨)さんと佐田 寅子(伊藤 沙莉)の関係は元通りにならないのかもしれません。
轟太一(戸塚純貴)のように素直に気持ちを言葉にして表現できる人が傍にいれば、感情を自分の中に押し殺してしまう山田 よね(土居 志央梨)さんにも変化が生まれてくるかもしれませんね。
第56話家庭裁判所判事補の寅子とよねさんの再会~知恵と教養:電報~
電報が誕生したのは幕末から明治維新にかけての文明開化の時代でした。
創業当初の電報は受け付けた通信文を局員が毛筆書きして封筒に入れ配達をしていたそうです。
虎に翼で描かれている時代に電報はどのように使われていたか調べてみました。
- 1923年9月1日に発生した関東大震災の無料被災電報の受付実施
- 1928年7月決まったサイズまでの写真・絵画などを送ることができる国産写真電信機が誕生し1930年写真電報サービスを開始
- 1934年年賀電報サービス開始
- 1936年定められた例文だけでなく任意の文も使用できる慶弔電報サービス開始
電報の種類としては市内電報、市外電報、至急電報が一般的には多く使われました。
多岐川幸四郎(滝藤賢一)から送られてきた電報には指定の箇所にウナとありました。
ウナとは「至急」や「緊急」を表す言葉で英語の”urgent”(至急)を意味するモールス符号の電報略号“u”“r”が和文モールスで「ウ」「ナ」に相当することが由来だそうです。
本来は緊急として送られた電報ですが、送り主が多岐川幸四郎(滝藤賢一)なので佐田 寅子(伊藤 沙莉)も慌てることがなかったのでしょうね。
大学の合否を電報で伝えたり冠婚葬祭に一早く気持ちを伝える手段として使われることが多かった電報。
そう言えば「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングにゲスト出演した方へ送られた電報がテーブルの上にいつもたくさん置かれていましたよね。
キティちゃん電報の存在を知ったのもいいともだったように思います。
第56話家庭裁判所判事補の寅子とよねさんの再会~次回予想~
この記事を書いたライターです。
子どもの頃からのテレビっ子。翌日学校でドラマの話をするのが大好きでした。
今も変わらずその延長線で好きを形に残したいとライター活動を始めました。
あったかいほうじ茶を飲みながら、のんびりと好きなことを書いていこうと思います。
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